皆さんはご存知でしょうか。
多くの痛みと悲しみに包まれた「太平洋戦争」
アメリカ軍と戦っていたのは、男の兵隊だけではなかった事を。
『あゝひめゆりの塔 』

1945年3月24日。
教師を志す沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒達は、。
南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍しました。
お国のために、学生として出来ること。気高い乙女の心を持って、爆撃が飛び交う中、傷ついた兵隊の治療を一生懸命行っていました。
本当にあった出来事。
この『あゝひめゆりの塔 』は、戦後から20年経ってから作られたものです。
主人公の「よなみね和子」を演じたのは、若き日の吉永小百合さん。
母と弟の3人家族であった和子は、教師を目指し日々勉強に勤しんでいました。
それは母もまた尊敬する教師であったからです。
同じ夢を志す女学生達はとても仲がよく、誰かが歌い出すと、みんなも歌い、いつも華やか歌声が響いていました。
そんな中、戦争は日に日に過酷さを増し、
幼い子ども達は、年配の教師とともに、疎開しなくてはならなくなりました。
和子の母もまた、その中の一人でした。
疎開先へ向かう船の上で、
別れを悲しむ家族に向かって、
子ども達が歌った「故郷」
大丈夫だよ。行ってきます。
その優しい思いが伝わる一夜。
無事に疎開できる事を願う残された家族達。
次の日。
その船が狙撃され、
沈没した、と知らされた。
現実を受け入れたくない和子。
母はきっと生きている。
弟はそんな姉を見て怒りました。
「母さんは立派な教師だ。生徒達を船に残して先に逃げるはずがない。母さんは…死んだんだ!」
大切な人を失う恐怖。
それでも、和子は強く、国のためにと、働き続けました。
この後に待ち受けていた、心に残るワンシーン。
第三回左脇腹
●残された負傷兵達が、牛乳を飲むシーン●
戦場での看護命令。
女生徒と教師達は、
病院と呼びがたい壕の中で、痛みに苦しむ兵隊のために、必死に体を動かします。
外は爆撃の雨。
被害に合い、
死んでいった仲間を見て、気が狂う女生徒。
兵隊の切断された手や足は、
ゴミのように捨てられている環境。
日本の負けが見え始めた頃、
和子達がいた壕の場所が危険になり、
安全な場所へ移動する事が命じられました。
食べ物も少ない、弱った体での移動。
負傷兵には無理がある命令でした。
「負傷者は、後でトラックで運ぶ。」
それを聞いた和子達は安心し、
安全な場所へと移動して行きました。
しかし、
トラックは来ませんでした。
壕に残った兵隊や女生徒は、
ある牛乳を飲まされます。
それは、
青酸カリ入りの牛乳でした。
同じ日本人同士、助け合いながら戦ってきた。
仲間を思う気持ちは、簡単に切れるものではなかったのに。
それ程戦争は残酷で、心臓をえぐられる以上の痛みを生み出しました。
それでも、何があっても、和子達は必死に生きました。
生き抜いて、戦争に勝つんだと。
戦争の終わりを知らされた日。
女生徒達は、汚れた顔を綺麗にし、髪をとかし、制服に着替え、
壕の外へと出て行きました。
情報が曖昧な状況の中、
これで戦争は終わったのだと、
それでも恐怖は消えないまま、勇気を出して、外へ出たのです。
しかし、
沖縄本土には、すでにアメリカ軍が上陸しており、
必死に生き延びた女生徒や教師らの運命もまた、
死でありました。
奇跡的に命があった和子。
動かないたくさんの仲間を見て、
ある決意をしました。
たまたま手に入れていた手榴弾。
引き金をひく和子。
和子の選んだ道は、自ら命を落とすというものでした。
職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名。
さっきまで動いていた人が、
簡単に動かなくなる。
簡単に死んでいく。
『あゝひめゆりの塔 』でも、
沢山の死の描写がありました。
それを見て、どう思うかは、
皆さんそれぞれだと思います。
ただ、
現実にこんな人達がいた。
戦争は、
悲しい。
でも、
その中にたくさんの勇気があった。
誰だって死ぬのは怖いのに。
途中で見る事をやめようと思った程、
『あゝひめゆりの塔 』は
辛い気持ちになりました。
しかし、
だからこそ、
凄く心に響き、
「希望」を貰いました。
そんな映画です。
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